2010年8月27日金曜日

まんが道

まんが道は藤子不二雄A氏の自伝的まんがだ。 読んでないならぜひ機会を見つけて読んでほしい。 富山の片田舎にすんでるチビでメガネの劣等感の塊のような少年である満賀道雄とその友人の才野茂が、手塚治虫にあこがれ、まんが賞に応募し、上京し、連載をもち、時には失敗をしながら、売れっ子まんが家となるまでを描いている。 実体験を元に描いているため、特に派手なエピソードがあるわけではない。 それだからこそ、出版社から当選の連絡が届いたりとか、連載をもつようになるくだりがスリルあふれるシーンとなる。普段の抑えた描写があるからこそこういうシーンが生きてくるのだ。 そして、あこがれていた手塚治虫に会うシーン。基本的に抑えた描写が多い漫画だが、手塚治虫の登場シーンは背景が宇宙になっていたりする。 自分はここから手塚治虫作品を読むようになった。 ボリュームもそれほどではないのでぜひ読んでもらいたい。 追伸 藤子不二雄の攻罪 自分がものごころついたときにはもう確固たる地位を気づいていた藤子不二雄だが、やはり成功を模索していたことがわかる。同じように書いた作品でもある作品は人気が出たり、ある作品は打ち切りになったりする。どうすれば人気が出るのか。その黄金律を探していたのだ。 そのための弊害もある。 たとえば、藤子作品では主人公少年の友人はヒロインの女子とデブ少年とキツネ顔少年のテンプレートがほとんどである。自分は学校へ行くと必ずデブ少年とキツネ顔少年が友人にできるのかと思っていた。もちろんそんなことはない。そこらへんもっとさまざまな構成にチャレンジしてほしかった。ある人はこういう友人ができて、ある人にはこういう友人ができる。。。と。結局ラベルを変えただけのコピーを垂れ流していた面があるといわざるを得ない。 またドラえもんでいえば、のび太がイラつくほど成長しない。 以前と同じ失敗を何度も何度も繰り返す。 これはドル箱であるドラえもんを少しでも長く続けようというセコさがあると思う。 以前はへたれだったのび太がきちんと成長する姿を描くことが子供によい影響を与えた筈だ。 無駄なエピソードは省いてコンパクトにまとめたほうが読者としても楽だし愛すべき作品になったと思う。 自分はすでに子供のころに通常のエピソードには興味を示さなくなっていて、映画の放送を楽しみにしていた記憶がある。新聞のテレビ欄をチェックして、2時間枠のドラえもんを見つけては喜んでいたが、放送が始まるとそれは映画ではなく「ドラえもんスペシャル」とかいうもので通常のエピソードを2時間分放送するだけということがわかり、がっかりしていたのだ。 どうせ、死ぬまでに使い切れないくらい稼いでいるのだから、自分や出版社の利益のために水ましした作品を垂れ流すのではなく、やりきったらさっさと完結させる潔さがほしかった。 子供にとってコミックスの代金は馬鹿にならないし、時間は有限なので、水増し作品に付き合うことは時間コスト的にもロスが大きいのだ。

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