2010年5月1日土曜日
ひぐらしのなく頃に
ひどい夢をみたときに「あーこれが夢だったらいいのに!」と思ったときに目が覚めて、
「はー夢かぁ。よかったぁ」と安心した経験はありませんか?
この「ひぐらしのなく頃に」の真骨頂はまさにこの感情にあると個人的には思っています。
原作は同人ゲームのようですが、私はアニメを見ました。
実はこの作品はプレイステーションのゲーム「ダブルキャスト」に着想を得て作られています。
そのため、面白さの構造も「ダブルキャスト」のそれに酷似しています。
まず、美少女とのラブラブ模様が描写されます。
そこで視聴者が「萌えアニメかよ。」とあきれかけたところで、雰囲気が一変。
凄惨な殺人シーンが発生し、まさかの全滅エンドをむかえます。
主要人物が全滅してしまったため、視聴者の興味は次の展開に集中します。
次の話はなんとまた最初からやり直しとなるわけです。
はじめのときとそっくりな展開ですが、前回と異なる部分が巧みに組み込まれてます。
そしてやはりまた悲しい結末を迎えます。
いったい真犯人はだれなのか?
このバッドエンドのループから抜けることはできるのか?
気がついたときには作品世界に引き込まれているわけです。
1話から4話までの鬼隠し編では、転校してきた主人公の圭一は同級生の魅音とレナと仲良くなります。
そしてかつてこの村でバラバラ殺人事件があったことを知ります。
すると、それまで仲のよかった魅音とレナが異常な行動をとるようになります。
まるで彼女たちがその殺人に関わっていてその事実を隠蔽しようとしているかのようです。
でもその異常性が顔を見せるのはほんの一瞬で、ちょっとするとまた普段の2人に戻るのです。
主人公は混乱します。
自分たちを信じてくれという普段の2人と、ぞっとするような狂気を垣間見せる2人のどちらを信じればいいのか?
そして身の危険を感じた主人公はついに2人を金属バットで殴り殺してしまいます。
5話目からは再びはじめに戻ります。主人公たちは1~4話までの記憶はありません。(1人を除いて)
そして、似ているけれど少し異なる展開が繰り返されていくのです。
その繰り返しの中で今まで見えていなかった事実や可能性が見えるため視聴者は、
今回こそ惨劇から抜け出せるのではないかと興味を持続させることができるのです。
私が最も感動したのは25話です。
このとき、主人公の圭一は4話の最後で魅音とレナを殴り殺したときのことを思い出すのです。
「俺はなんてことをしてしまったのだ。魅音とレナを殺してしまった」という圭一に、
「何を言っているの?私は生きているよ」と魅音がいいます。
「ここではない、よく似た別の世界でた。俺はなぜか疑心暗鬼になって2人を信じることができなかった。
レナは命を失う瞬間まで俺を救おうとしてくれたのに。
どうして耳を傾けることができなかったんだ。」
ここですべての記憶を持つ少女、梨花が口を開きます。
「覚えているのですか?
圭一は、レナと魅音を殴り殺したことを。
・・・あなたを許しましょう。
あなたの罪はすべての記憶をもつ私にしかわからない。
だから私が許しましょう。
今の圭一なら今レナがどういう状態なのかわかるでしょう?」
このとき仲間のレナは以前の圭一と同じように仲間に背を向けていたのです。
「今のレナはあのときの俺と同じだ仲間を信じたくても信じられないんだ。
あの時、レナは最後まで俺を救おうとしてくれた。
今度は俺がレナを救う番だ。惨劇は避けられる。
運命には抗える。
そしてつかめるんだその先の未来ってやつを!!」
。。オロロ~~ン 号泣。
最近、短絡的な殺人事件が多いですが、一度死んだ命が戻ることはありません。
圭一は別世界で自分がしたことを思い出し心の底から悔いるのですが、
現実世界ではやりなおしなどできません。
死んだ人は二度と生き返らないのです。
この作品は残酷な殺人シーンが話題になり、
放送禁止騒ぎが起きるほどでしたが
作者のメッセージはぜんぜん違うものです。
逆に犯した罪はもう元に戻せない
なくなった命は戻らないということが痛いほどよくわかるのです。
ぜひ時間を作ってみていただきたいと思います。
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